ベルンハルト フーバー マルターディンガー シュペートブルグンダー 2017
村名入りクラス。マルターディンゲン村の樹齢20年前後のピノ ノワールのみを使用。何度か使用した小樽での熟成。 樽の風味が強く出ていない、ワイナリーの看板ワイン。
テイスティング コメント
透明感のあるルビーレッド。レッドチェリーや小粒の赤い実、ローズヒップ、ポプリの香りとローストしたオークのノート。クローブやシナモンなどのスパイスの香りが入り混じり、その華やかなアロマを引き立たせる。味わいはスムーズでしなやか。軽やかなタンニンと溶け込んだ酸味、全体のバランスがとれており果実味が伸びやか。今もなおピュアで、洗練さと構造はミネラルに起因する。愛らしさが次第に品格を纏うようになりボディはミディアム、アフターの余韻の長い。フレッシュな酸の余韻が心地よいエレガントな仕上がり。合わせるお料理は、ネギと鴨肉のソテー、地鶏の焼き鳥、茸料理、淡泊な魚介料理など。
2021年9月試飲
ベルンハルト フーバー
南ドイツ、バーデン地域はドイツのワイン生産地帯の最南端。フランスとスイスの国境沿いに位置します。そのもっとも温暖な気候のように、熱い注目を世界から浴びているのがこの「ベルンハルト フーバー醸造所」です。設立者は故ベルンハルト フーバー氏。1987年に当時加盟していた地元のブドウ生産者協同組合を脱退し、まさに一からスタートした醸造所は、今ではドイツを飛び越え世界最高峰の醸造所の一つに数えられるまでになりました。醸造所設立わずか20年、ワイン ガイドブック『ゴーミヨ』にてドイツの醸造家の最高の栄誉である「最優秀醸造家」の称号を見事勝ち取りました。
バーデン随一のピノ ノワール名産地「マルターディンゲン村」
醸造所の歴史は埃まみれの古い文献から始まりました。まだ研修生だったころ、故郷マルターディンゲン村で資料に目を通していたフーバー氏は、13世紀頃のぼろぼろになった文書を目にします。その文献によると、当時マルターディンゲン村は、フランスのシトー派の僧侶から持ち込まれた「ピノ ノワール」種を使った赤ワインの名産地であったばかりか、ピノ ノワール種が村名を取って「マルターディンガー」と呼ばれていたことがはっきりと記されていました。(今日でもワイン辞典に「マルターディンガー」は記載されています。)
この古文書に巡り合って自信を強めた彼は、1987年、当時加盟していたブドウ栽培者協同組合を脱退し、独自のワインを造るべく「ベルンハルト フーバー ワイン醸造所」を創設。勿論不断の努力もありますが、思惑は見事に的中し、長い眠りについていた「マルターディンガー」が再び陽の目を見ることとなりました。今日世界各地で、彼のしなやかで豪華な赤ワインは常に最高の評価を得、フランスやカリフォルニアの名だたる醸造所を打ち負かすこともしばしばです。
遡ることおよそ700年前、フランスの僧侶にピノ ノワール種の栽培の地として選ばれたマルターディンゲン村。その最大の要因は、彼らの故郷であるブルゴーニュ地方に風土や土壌が酷似していたことです。土壌は貝殻石灰岩の風化土壌。太古の昔海であったこの地は、少し掘り起こすと独特の色合いを呈した土壌が露出します。特に貝殻石灰岩の地層の隆起が激しく、この地で育つぶどうは、赤ワインに欠かせない複雑味を土壌から多くもたらされることになります。
世界のメディアで絶賛!160カ国配信の「ニューズウィーク」にて特集
今や世界で引っ張りだこのフーバー氏は2002年のニューズウィークでも特集されました。記載の中で「フーバーワインは間違いなく世界有数のワインの一つ。20年前にドイツでこれほどの赤ワインができるかと質問されたら、間違いなく『とんでもない!』と答えただろう。」とはGrand Jury Europeanのリーダー、フランス人Francois Maussのルクセンブルクでのワイン品評会での言葉です。その他にもドイツのワインガイド「アイヒェルマン」において年間最優秀醸造家の称号も獲得しています。
新樽による長期熟成
現在でこそドイツで認知されている、オーク素材の小さな新樽(バリック)での熟成も、ほんの十数年前まではまだまだ奇異なものでした。そのパイオニアとして果敢に取りくんだのがフーバー氏です。彼の成功の一因として、ワインに独特の深みを与えるバリックの存在は欠かすことが出来ません。もちろん、ぶどうを丹精に育み、この樽の風味に負けることのない力強い果汁を使っていることは言うまでもありません。
ベルンハルト フーバー氏の情熱と魂は長男のユリアン氏へ
一代で醸造所を興し、その名をドイツ国内のみならず、世界中に知らしめた醸造家ベルンハルト フーバー氏。彼のワイン造りに対する、情熱と真摯な姿勢から、いつしか「ドイツ赤ワインの規範」と称されるようになりました。2012年から肺癌を患い、闘病生活を送っておられましたが、遂に病魔に勝てず2014年6月11日に帰らぬ人となりました。惜しくも55歳という早すぎる死を悼み、イギリスのTIMES 紙には、ベルンハルト フーバー氏のお悔やみの記事が掲載されました。また、2014年版ゴーミヨではその功績に敬意を表し、「10年後に飲んでおいしい赤ワイン賞」が『ベルンハルト フーバー賞』と改名されました。これは小説家でいう直木賞、野球選手でいう沢村賞などと同様、非常に名誉あることです。
現在、醸造所はご長男のユリアン フーバー氏が当主となり、父ベルンハルトのワイン造りに対する情熱と魂を立派に引き継いでいます。
現当主: ユリアン フーバー氏