ドメーヌ・ルフレーヴ マコン・ヴェルゼ 2016
マコンのワインであってやはりルフレーヴ。マコンにありがちなトロピカルさも抑えられ、ピンと背筋の伸びたワインに仕上がっています。
テイスティング・コメント
輝きのあるストローイエロー。粘性は中程度。香りは新鮮なグレープフルーツやレモンを基調に白桃、白い花、鉱物、ミネラルのヒント。そして木樽由来のトーストやバニラの香り。洗練された中に、ややフリンティな複雑なニュアンスをもつ。口に含むとスムーズでなめらか。香り同様にフレッシュな印象があり清々しい酸味と高密度なミネラルが味わいを支えるエレガントなスタイル。風味は豊かだが過熟感が毛頭ない。艶やかで繊細な果実味が伸びやかに広がりドライで、活気・エネルギーが満ち溢れる。合わせるお料理は、鯛のカルパッチョ風サラダ、魚介料理、ホワイトソースの鶏肉料理、エスカルゴ、ジャンボン・ペルシエ(ハムとパセリのゼリー寄せ)、アスパラガスなど。
2019年7月試飲
ドメーヌ・ルフレーヴ
ピュリニー・モンラッシェ随一の造り手がドメーヌ・ルフレーヴ。全ブルゴーニュの白ワインにおいて最高の造り手といっても過言ではありません。
ドメーヌは20世紀初頭、ジョゼフ・ルフレーヴが一族の畑を相続して設立し、その2人の息子ジョーとヴァンサンの時代に評価を確立しました。ジョーの死後はその息子であるオリヴィエが代わりを務め、90年になってヴァンサンの娘アンヌ・クロードが参画。オリヴィエが自身のネゴシアン業で多忙となったため、94年以降はアンヌ・クロード・ルフレーヴが一人でドメーヌの経営にあたっていましたが、2015年に他界。
そしてその偉大な功績の跡を継いだのはブリス・ド・ラ・モランディエールでした。彼はオリヴィエ・ルフレーヴの兄妹の子供で、つまり、オリヴィエや、亡くなったアンヌ・クロードの甥にあたります。教師からヴィニュロンに転向したアンヌ・クロードのように、彼もまた別の畑からの転向でした。元はインダストリー分野で起業し、世界各国に居を置きつつ事業を拡大。3000人を超える従業員を持つ経営者からのドメーヌ参画は異色なことでした。
ルフレーヴはピュリニー・モンラッシェにおよそ25haものブドウ畑を所有する大ドメーヌであり、その大部分をグラン・クリュとプルミエ・クリュが占めています。プルミエ・クリュのクラヴォワヨンにおいては、クリマの総面積5.5ha中じつに4.7haを所有する半ば独占状態。グラン・クリュのシュヴァリエ・モンラッシェも7.4haのうち2haを所有し1ドメーヌの所有面積としては2番目に大きい。
このシュヴァリエ・モンラッシェの評価があまりに高いため、「ルフレーヴにモンラッシェは必要なし」と言われていましたが、91年、ついにモンラッシェを入手。面積は2ウーヴレ=約0.08haに過ぎず、毎年1樽造るのがやっとの希少さです。
2004年には南のマコネ地区に9.33haの畑を取得。同じ年からマコン・ヴェルゼとして醸造を始めました。入手の難しいルフレーヴのラインナップの中でも比較的生産量が多く、価格も手頃なため同銘柄は人気のアイテムとなっています。
特筆すべきことはビオディナミによるブドウ栽培
80年代末、ブドウ畑の状態に疑問を抱いたアンヌ・クロードは、地質学の専門家であるクロード・ブルギニヨンの講義を聞いたのがきっかけで、ビオディナミに傾倒。故フランソワ・ブーシェの指導のもと、天体の運行に従って農作業を行い、自然界の物質から作られた特種な調合物で土壌の活性化を図る、ビオディナミ農法を実践。
またワインの醸造は、歴代のレジスール(醸造長)が指揮をとります。フランソワ・ヴィロ、その息子のジャン・ヴィロと続き、1989年にはムルソーの造り手として高い評価を得るピエール・モレが後を継ぎました。彼はおよそ20年間にわたり、ルフレーヴのワインの品質をさらなる高みまで向上させた後、2008年にそのバトンを若手のエリック・レミーへ渡しドメーヌを去っています。
ルフレーヴのワインはいずれのクリマもテロワールをありのまま表現したもので、過熟感や過剰な樽香とは無縁なスタイルです。
ムルソー・スー・ル・ド・ダーヌやピュリニー・モンラッシェでもクラヴォワヨンのように、比較的若いうちから楽しめるクリマもありますが、ピュセルやシュヴァリエ・モンラッシェは鋼のように強靭なミネラルが落ち着くまでに長い年月を要します。しかしながら待てば待った分だけ、いざ開けた時の感動は大きく、世のルフレーヴ・マニアを虜にして離しません。