ピエール モレ ムルソー レ テソン 2018
ドクター ラヴァルの格付けではジュヌヴリエール ドゥシュやシャルム ドゥシュとともに、プルミエール キュヴェに含まれているテッソン。小石が多く、表土の浅い土壌から、繊細でエレガント、ミネラルの強いムルソーが生み出されます。熟成のポテンシャルが高い1本です。
評価
2018VT ワイン アドヴォケイト 2019-11: 91-93点獲得
テイスティング コメント
明るいイエロー / ゴールド。新鮮なシトラス、白桃、洋梨のアロマと白い花、スパイス、ほのかな火打石のノート。そしてバター、アーモンド、ヘーゼルナッツの香り。味わいは丸く非常になめらかなテクスチャー。十分に熟したジューシーな果実味をきれいな酸味がやさしくまとめ上げる。エレガントなスタイルで背景にはミネラル感。緻密さと力強さを兼ね備え優雅な余韻へと誘う。時間の経過と共にオイリーさが増しリッチ。
合う料理 オマールや伊勢海老のソース添え、クリーム系肉料理、フォアグラ、鉄板焼き、白身魚のフライなど。
2022年12月試飲
ピエール モレ
ピエール モレはムルソーの造り手ですが、一族がムルソーにやってきたのはフランス革命まっただ中の1793年のこと。モレと名のつく他のドメーヌ同様、もともとはシャサーニュ モンラッシェの出身だそうです。ピエールの父、オーギュストは1935年にドメーヌ デ コント ラフォンのメタイエ(収穫の一部を受け取る小作人)のひとりとなり、1971年からピエールがそれを引き継ぐようになりました。ラフォンはムルソーの1級畑や特級モンラッシェなど素晴らしい畑をもっていましたが、オーナーはつねに他の仕事をもち、畑作業は小作人に任せていました。ところがドミニク ラフォンがラフォン家で初めての栽培醸造家になると、折半耕作の契約期間を延長せず、ラフォン家のすべての畑を自ら耕作することを宣言。このことにより1986年から1991年にかけてピエール モレは多くの畑を失ってしまうことに。
しかしながら、ピエール モレの手腕に感銘を受けていた、ピュリニー モンラッシェの大ドメーヌであるルフレーヴは、引退が決まっているそれまでの醸造長のジャン ヴィロに代わって、ピエールを招聘。こうして彼は、1988年以降、ルフレーヴの醸造長として働く一方、自身の小さなドメーヌを運営し、さらに1992年にはネゴス ブランドとして「モレ ブラン」を設立。二足のわらじならぬ三足のわらじを履くことになりました。
ルフレーヴの醸造長に就いてから20年後の2008年、ドメーヌ ピエール モレとモレ ブランの仕事に集中するためルフレーヴから離れ、娘のアンヌを共同経営者に迎えて、父娘で11haの畑を耕作。同時にモレ ブランを経営。
ルフレーヴがそうであるように、ドメーヌ ピエール モレでも1991年から畑をビオロジックやビオディナミで栽培し、1997年にはすべての畑をビオディナミ農法に転換しました。
アペラシオンはドメーヌもネゴスもムルソーを中心にコート ド ボーヌと白と赤に集中しています。ドメーヌ所有の特級畑はバタール モンラッシェのみですが、ネゴスのほうにはモンラッシェにコルトン シャルルマーニュ、赤のコルトンもあります。またドメーヌのラインナップには、珍しいムルソーの赤、レ デュロがあり、表土の厚い土壌からすこぶるパワフルな赤ワインを生み出しています。
ピエール モレのワインはテロワールにきわめて忠実に仕上げられ、ムルソー1級ペリエールはその硬質なミネラル感を前面に押し出し、バタール モンラッシェはリッチさと力強さが表現されています。
ドメーヌとネゴスの両方を運営する造り手のワインは、ドメーヌを主、ネゴスを従ととらえられがちですが、ピエール モレの場合はそれにあたりません。ネゴスのワインはあくまでドメーヌのラインナップの補完にあり、ブドウが購入したものである以外はドメーヌ同様のケアがとられています。たとえば村名ムルソー同士をブラインドで試飲したとしても、そのブドウが栽培された区画による違いはともかく、品質的な優劣を感じることはありません。